感じのいい人なのに、なんか引っかかる
職場にさ、すごく感じのいい人っているじゃん。
挨拶もちゃんとするし、誰にでもニコニコしてる。話しかければ丁寧に返してくれる。傍から見たら「いい人」の見本みたいな人。
でもね、50年以上生きてると、なんか引っかかることがあるんだよね。
うまく言えないんだけど、「嘘くさい」って感覚。悪い人じゃないのはわかってる。でも、どこか信用できない。その違和感の正体を、最近やっと言語化できた気がするんだ。
当たり障りのない会話という名の壁
その人との会話って、いつも当たり障りがないんだよね。
「今日寒いですね」「そうですね〜」で終わり。「週末どうでした?」「まあ、のんびりしてました」で終わり。
別にそれ自体は普通のことだよ。職場の会話なんて大体そんなもんだし。
でもさ、何年一緒に働いても、その人のことが全然わからないんだよ。好きなものも、嫌いなものも、何に怒って何に喜ぶのかも。まるで壁と話してるみたい。
リアクションも定型文。「すごいですね」「大変でしたね」「わかります〜」。言葉は返ってくるけど、心が見えない。
「正義のため」という免罪符
そういう人に限って、陰では結構キツいこと言ってたりするんだよね。
「あの人のやり方、ちょっと問題だと思うんですよね」とか「みんなのために言わなきゃいけないと思って」とか。
表では絶対言わないのに、裏では根回ししてる。で、それを「正義のため」って枠組みで正当化してる。
俺、これがすごく気持ち悪いんだ。
だってさ、本当に問題だと思うなら、本人に直接言えばいいじゃん。それができないなら、黙ってればいい。なのに陰でコソコソやるのは、結局自分の不満をぶつけたいだけでしょ。
怒りを認められない人たち
思うんだけど、こういう人って「自分が怒ってる」ってことを認められないんじゃないかな。
怒りって感情は、なんかダサいとか、大人げないとか思われがちじゃん。特に職場では。だから「私は怒ってない、正しいことを言ってるだけ」って自分に言い聞かせる。
でも、怒りは消えないから、「正義」って衣を着せて外に出す。そうすれば自分は悪者にならないから。
これ、本人は無自覚だと思うんだよね。本気で「みんなのため」って信じてる。だから余計にタチが悪い。
違和感を感じる自分を信じていい
50代にもなると、こういう人を見抜く嗅覚みたいなものが育ってくる。
言葉にできなくても、「なんか違う」って感じる。その感覚は、大体当たってるんだよね。
若い頃は「感じいい人なのに、こんなこと思う自分が悪いのかな」って自分を責めてた。でも今は違う。違和感を感じる自分の感覚を、もっと信じていいと思ってる。
別にその人を敵視する必要はない。ただ、適度な距離を取ればいいだけ。深入りしない、巻き込まれない、それだけ。
結局、正直が一番ラク
派遣社員として色んな職場を見てきたけど、長く付き合える人って、やっぱり正直な人なんだよね。
怒るときは怒る。嫌なものは嫌って言う。そういう人の方が、よっぽど信用できる。
俺も完璧な人間じゃないから、イラッとすることもある。でも、それを「正義」にすり替えるのだけはやめようと思ってる。「俺、今ムカついてるな」って素直に認める方が、よっぽど健全だよね。
職場の人間関係なんて、深く考えすぎてもしょうがない。ただ、自分の感覚だけは大事にしていきたいなって、最近つくづく思うんだ。

